今日は祝日なので、練習はお休みです。
ぽかぽかの絶好の行楽日和となっています。
そんな中、尾形敏幸先生の「映像Ⅰ」の1曲目「憩らひ-薊の好きな子に-」について
ちょっと思い出したことがあったので、書いておこうと思います。
尾形先生は楽譜の冒頭に「憩らひ」について「この処女作は、全日本合唱連盟の公募に入選し、昭和56年度のコンクール全国大会で初演された。」と書いておられます。
「ハーモニーNo.35 1981 WINTER」によると入選されたのは、この前年の昭和55(1980)年度です。
ここで、全日本合唱コンクールの「課題曲」である「選択曲」についてちょっと説明を。
NHKの合唱コンクールの課題曲は、ある1曲の男声、女声、混声バージョンを歌うのが普通です。
これに対し、全日本合唱コンクールは「選択曲」の中から選んだ1曲と自由曲の数曲で指定された12分になるようにしていました。
「選択曲」は毎年変更され、例えば全く異なる混声4曲、男声3、4曲、女声4、5曲が指定されます。
そして、そのうちの約半分が外国語曲のため、日本語を選択しようとすると、2曲から選ぶことになることが多いです。
そして、その「選択曲」に前年の「創作合唱曲の公募作」が入ってくることがあったことを思い出しました。ですから、コンクール参加団体にとって、公募入選曲は次の年の
「選択曲」になるかもしれず、興味津々というより、戦々恐々だったということも。
その年の「選択曲」は「合唱名曲シリーズ」という曲集にまとめられています。
全日本合唱連盟のホームページにありました。
1981年(昭和56年)・第34回 合唱名曲シリーズNo.10
(昭和56年3月20日発行・700円)
混声4曲、男声4曲、女声5曲の最後にありました。
「女声 F5 憩らひー薊の好きな子にー」(公募入選作)
「選択曲」に入っているということは、日本中の女声合唱団が県大会や地方大会でも歌ったということでしょう。
当時、合唱コンクールの分類は高校、大学、職場、一般の4つ。
日本中の女声合唱団でこれを歌っていた年があったんですね。
おー拙宅にあります。
独身最後の関西合唱コンクールが10月にあり、初の福岡での全国大会の切符を頂戴したというのにもかかわらず、11月のその日、私は横浜で新婚生活を送っていました。どうして福岡に行かなかったのか、今となっては最大の悔いです。
その年の女声の課題曲は5曲あり、なんと「落葉松」も含まれていました。我々はリストの「O salutaris Hostia」を選択していました。なぜ「憩らひ」ではなかったのか…指揮者が同じの高校コーラス部の後輩がおそらく歌ったのだろうかと。
あれから40年経った今、「憩らひ」に再会できるなんて。
不思議な気がします。